協同組合設立20周年を記念して、赤羽伸弘前理事長からご寄稿頂きました。(2011.11)
長野県保険医協同組合の歩み
長野県保険医協同組合は、1991年6月30日に長野市ファーストホテルで設立総会を開催。全国で7番目の保険医協同組合として誕生しました。その2年前(1989年4月)に、長野県保険医協会は総会方針で「協同組合を発足させる」ことを確認しましたが、それ以前にも組合設立につながる活動がありました。
1980年の保険医協会発足間もない頃、会員からの要望を受けて、大阪府保険医協同組合から包帯・カット綿などを仕入れて斡旋していたこと。北信越の各協会との共同の運動である暖房料要求から発展した重油、灯油、ガソリンの低価格斡旋などが一定の軌道にのってきたことなど、会員の要求に根ざした活動です。
設立に向けての話し合いの中で出された当初の目的は次の4点でした。
- 医薬品や材料の低価格斡旋をして欲しいという会員からの要望があること。現在、個々の医療機関単位で対応している経営努力(医薬品、衛生材料などの安値購入)を団体の力で強力に行う。
- 協会の収益事業に対する課税の問題を解消する。
- 同一地区内では、先行の協同組合の利益を守るために、重複した協同組合の認可は行わないので早急に設立する。
- 事務所の家賃も大きくなり、自前のものを購入してもその返済にあてた方が将来を考えると有利なこと。
会員に組合設立につき案内したところ、61人にご賛同いただき事業を開始しましたが、現在では、事業活動の発展を反映して723組合員と当時の10倍以上に拡大しています。
協同組合は組合員の医業経営を守ることを目的としていますので、利益確保が難しく、経営に苦労しているようにうかがいますが、組合員の経営を守り続けるためにも安定的に運営されることを願っております。
長野県保険医協同組合 前理事長 赤羽伸弘