―原山周一郎先生の能登半島地震支援記も第5弾 今号で一旦終了します―
3月に入ると、現在本業にしている農作業がスタートします。その合間に能登支援活動を行って来ました。3月最後の活動が12~15日の3泊4日になりました。今回のメインは、我が家で使っていた10枚の畳を町野町の「もとやスーパーマーケット」併設の無料宿泊施設に届ける事と、穴水町の「ボラまち亭」で不足している2Lのペットボトル入りのお水を届ける事です。
長野から、普段、農作業に使っている軽トラに積み込み、富山県高岡市で前泊にしました。 乗用車と違いスピードが出ないため、無理をせずの走行です。

困りごとを話せる機会が望まれている
翌日、ボラまち亭で水を、続いて、もとやスーパーで畳を降ろしました。積み荷を降ろすと車が急に軽くなりました。その足で、前回訪れた珠洲市役所に行くと、長野市の市会議員さんたちがすでに市役所の玄関前でカフェを開いていました。来庁者の方や職員の方へ、信州リンゴと柿と共にコーヒーを提供しました。
続いて、仮設住宅に移動してお茶のみサロンを開催し、今回は、歯科相談会とアンケートも実施しました。アンケートと引き換えに、歯科用品の提供。地元からは、他の仮設住宅でもお茶のみサロン開催の要望が出ました。ここでは、「パタカラ」を印刷したA4の紙を配布。
以前、穴水町で講演をしましたが、その後に訪れた時に「パタカラ」をお聞きすると、皆さん3日坊主で忘れていました。この経験から、大きな紙に印刷し、洗面所や居間の目立つ場所に貼ってもらうことにしました。
帰りは、珠洲市のお土産店で売られている限定品の「玉手箱」を買いました。日持ちのするお菓子が沢山入っていました。夜は、七尾市まで戻り、能登総合病院口腔外科の長谷先生との食事会が待っていました。
病院では何回もお会いしましたが、高級なお寿司屋さんでの食事会です。災害時の歯科の出番や歯科の活動の位置づけについて1時間程意見交換しました。
物価高騰で余儀なくされる自宅再建の見直し
翌日は、午前と午後のボランティア活動。午前は、町野町の住宅の庭の片付け作業。隣では、3階建てビルの解体工事が行われており、アスベストが風で舞ってこないかを心配しながらの作業になりました。午後は、輪島市街地の住宅の片付け作業。
ここで知ったのは、地震と水害で「半壊」の認定を受けた住宅が、公費解体の申請を取り下げたということです。公費解体で更地にして家を建てると物価高騰で2.000万円以上になり、水害での泥だしを行い、大工さんによる修繕を依頼した方が安い事が分かったため、我々が外回りの片付けをしました。
ボランティアセンターに戻り、本日参加の89名のボランティアさんへのお礼の歯科医師会提供の歯みがき剤を配布しました。皆さん、本当に喜んで持ち帰ってくれました。
口々に語られる生活不安
3月15日は、今期最後の活動で、穴水町のボラまち亭に行きました。いつもの顔見知りの方たちとのお茶のみ相談会では、昨年の夏からの人たちともようやく、本音で話しが出来るようになりました。
仮設住宅は、2年しか入居できない不安。何人もこの心配を話してきました。
「公営住宅の完成時期と家賃の問題」「年金だけで過ごせるか」「子どもから一緒に暮らそうと誘われているがどうしたもんか」「以前住んでいた住宅が公費解体で更地になったが、新築の家は、物価高騰で建築が出来ない」「更地にしたが、売れるのか」
限りなく皆さんが本音で話してくれました。本当の聞くだけの「傾聴」しか出来ませんでしたが、自分の心の中にある不安などを話したようで、皆さんニコニコして帰られました。ここで一休みをして、夏から能登支援を再開しようと考えています。
長野市 原山 周一郎(旧原山歯科医院・院長)