―能登半島へ被災者支援に行かれた原山周一郎先生から、活動報告をご寄稿いただきました―
2024年1月1日に能登半島地震が起こり、歯科医師会では、JDATの現地への歯科医師等の派遣がありました。2月22日に長野市から、歯科医師2人と歯科衛生士2人の4人編成で石川県穴水町へ行きました。

当日は、5か所の避難所の訪問をして、歯科的相談や歯科用支援物資の支給をしました。最後の避難所の90才代のお婆ちゃんからの一言、「あなた達が来て、家の中を片付けてくれないと家に帰れないよ」と、目を合わせて言われました。この言葉に目覚め、長野に帰り、石川県のボランティアセンターへ登録。さらに、ボランティア保険の加入に長野市社会福祉協議会へ行きました。
生まれて初めての災害復旧ボランティア
今回のボランティア活動は、石川県では個人の現地入りを禁止していました。しかし、3月下旬に七尾市が、アルピニストの野口健プロジェクトを立ち上げ、現地集合・現地解散のボランティア活動を始めました。石川県募集のバスボランティア30人、現地集合・現地解散100人の、毎日130人の活動が始まりました。この活動は、ネット予約が直ぐに満員になる盛況でした。4月1日が、生まれて初めてのボランティア活動参加で、不安がありました。
七尾市の指定駐車場に車を置いて、20分ほど歩き、集合場所の七尾市災害ボランティアセンターに8時30分に集合です。携帯を使いQRコード読み取りで参加登録。続いて大ホールでの説明とグルーピング。4月1日の参加者の中で、ボランティア活動の経験者は、約10%でした。
被災者支援の思いで現場が一致団結
20人がグループになり、マイクロバスで廃棄物の仮置き場へ向かいました。軽トラや小型トラックで持ち込まれる廃棄物を11種類に分類しての作業。作業中に一度の休憩と、交代でのお昼休憩がそれぞれ1時間ずつあり、作業は午後3時には終了しました。
初めて顔を合わせる人ばかりでしたが、ボランティア活動という気持ちが一緒なので、直ぐに活動しながら仲良くなりました。活動にあたっては、リーダーを1人と、ケガや病気の手当の保健係を選び、必要な道具類をボランティアセンターから持ち込んでの活動でした。さすがに、長野を午前1時に出発しての日帰り参加だったので、疲れて帰りました。
本当に重いブロック塀と能登の黒瓦
高速道路は、事前申請で無料通行証明書をもらえますが、燃料代や宿泊をする場合は、自分持ちです。2回目の参加は、被災住宅からの廃棄物の収集運搬作業。トラックの運転を して、10人グループで、午前1軒、午後1軒の1日2軒をまわります。
ブロック塀や能登特有の黒瓦は、本当に重たかったでした。グループには、若い女性も加わります。奉仕の精神があり弱音は一切口にせず、驚きました。
七尾市の活動は6月一杯で終了するまで、10回参加しました。パッカー車へ木を入れる時に、跳ね返って来た木材でケガをする人や、転んで腰を打ってしまう人など、簡単な手当を何人も陰でしました。
さらに奥能登でも被災者支援に参加
6月で活動を終わりにしようと思って帰って来ました。すると、ボランティア活動で知り合った仲間から、7月からの奥能登(輪島市・珠洲市・能登町・穴水町)での活動に誘われました。そして、7月中旬から、七尾市から30キロ奥の穴水町の仮設住宅での活動になりました。ここは、由比ヶ丘陸上競技場をつぶしての、185世帯の仮設住宅です。
ここの仮設住宅の管理をしている名古屋市に拠点がある認定NPO法人「レスキューストックヤード」の医療チームに所属しての活動になりました。七尾市での活動で身分が分かってしまい、看護師さんや保健師さんとの活動が中心になりました。
原山 周一郎(旧原山歯科医院・院長)