―原山周一郎先生の支援活動記です・発災から1年後の能登の様子をお伝えします―
2月7日から2泊3日で、七尾のホテルが初めて予約を取ることができました。今回は、能登で知り合った東京のボランティア仲間が、七尾で合流する事になりました。
長野を午前2時に出発。凄い大雪の中、富山県小杉ICで北陸道を下りると6時前から道路が大渋滞し、8時間掛かって、穴水町<ボラまち亭>へ到着しました。11時からの「おすそ分けコーナー」で、長野から持って来たレトルト食品の配布をし、お茶飲みお悩み相談会での皆さん方との傾聴やアドバイス。午後は、町野町の〈もとやスーパーマーケット〉での今後のボランティア活動の打ち合わせに行きました。
大雪の能登で深夜のトンボ帰り
帰りは、猛吹雪に遭遇。今夜の宿泊場所の七尾市には、大雪警報が発令されました。しかも、のと里山海道は、途中で通行止め!止まれば動けなくなりそうな、輪だちの無い道を必死に走り、夜10時前にホテルに無事に到着しました。風呂に入っていると、本日ここで宿泊する彼からのメール。
「新幹線、東京駅1時間遅れ。金沢からの七尾までの接続がないかもしれません。」
― やばい!
携帯で連絡を取り合い、警報の出ている中、11時にホテルから車を出して、能越道を高岡まで走り、新高岡駅で待つ彼を迎えに行きました。そして、大雪の中トンボ帰りで七尾のホテルに戻ったのは午前2時。昨夜から24時間起きっぱなしのため、即、眠りに就きました。
翌朝は、雪道走行の練習をする彼に運転してもらい、穴水へ向かいました。彼は、大型二種免許を持つ車好き。初めてにしては、上出来でした。私は、11時からの「おすそ分けコーナー」の担当をし、彼は、185世帯ある仮設住宅の備品等のメンテナンス作業。彼の本業はTOTOの技術マンなので、簡単な修理は朝飯前のようです。3時には活動が終了し、輪島市までお土産を買いに行きます。能登産のアオサや海苔を2人で大量に買い込みました。そして、小雪の舞う中、七尾へ帰って来ました。連日の疲れもあり、明日の活動に備えて、即、休みました。
穴水に定住した住民
活動最終日は、ご主人が日本人、奥様がイタリア人のご夫婦と子供さん2人にボラまち亭で会いました。日本中をキャンピングカーで回り、この穴水に定住して仕事を探したいと話されており、人口の流出に歯止めがかかると思いました。
後に聞いたのですが、公営住宅に住むことができ、仕事も見つかったそうです。そして、3月1日の午後1時から3時まで、ボラまち亭で、お茶のみ歯科相談会の依頼を受けました。次回は、準備をして訪れる約束をして、長野へ彼と帰りました。彼は、長野から新幹線で東京へ。
歯科用品の無償配布

私は現在、長野市内で、0~3才までのお子さんとお母さんの歯科相談会を頼まれ、隔週でボランティア活動をしています。そこで、「2月11日に輪島市から、わじまティーンラボ館長の小浦さんが、長野市へ交流会で来るので、参加してほしい」と言われ当日会場に行きました。
正しくは、「長野市緊急時における子ども支援ネットワーク交流会」。21名の参加者で、何人か知っている方もいました。そして、その中の長野市T市会議員さんにお会いし、珠洲市での月1回のボランティア活動へのお誘いがありました。
2月26日からの活動では、金沢にある石川県歯科医師会からの歯科用品の提供を受けました。輪島市でのボランティアさんに歯科用品の無償提供をし、皆さんに大変喜ばれました。また、珠洲市では、市役所で歯科用品の無償提供を行いました。仮設住宅でのお茶のみ歯科相談会並びにアンケート調査。3月1日、穴水町でも同じアンケート調査をしました。
長野市 原山 周一郎 (旧原山歯科医院・院長)