空白の年月は備えのとき

私は北海道大学原子工学科、東京理科大学数学科、杏林大学医学科と3つ大学を卒業し、プログラマー、高校教師、医師と3つの職業に就いた。こうして書くといかにも華やかな経歴だが、時系列で経歴を書くと空白の期間が長い。現在69歳にして、働いている期間が約29年間というのがそれを象徴しているだろう。

履歴書の空白を恥じる必要はない

就職、転職のたびに履歴書を書くわけだが、採用担当者に詳しくは見て欲しくないな、と感じていた。事実、面接の時に、露骨に空白期間や転職回数の多さを指摘されることもあった。

このように、空白期間の長さや転職回数の多さがコンプレックスとなっていた。
が、教会の礼拝で「モーセが神の召命を受けてエジプトで虐げられていた同郷の人たちを引き連れてカナンの地に導いたのは八十歳で、働き盛りの頃は羊飼いとして世間から退いた生活をしていた。立ち止まっている期間があっても、時を待つことが必用だ」という趣旨の説教があり、「履歴の空白を恥じる必要はないのだ」と目からウロコの思いがした。振り返ってみれば、空白期間は蛹が蝶になるのを待つような必用な期間でもあったのだ。

モーセは聖書に出てくる人物だが、杖を上げ、手を海の上に延ばすと紅海が2つに分かれ、エジプトの軍隊から逃げ出すことができた話は有名であり、映画、『十戒』や『エクソダス 神と王』でも描かれており、クリスチャンでなくても知っている人も多いと思われる。

「マタイの福音書20章」との出会い

父親の反対が強く、高校時代に医師を志しながら受験すらしなかったのだが、医学部の世界、医師の世界は今まで経験したどの世界よりも厳しかったので、若いときにその世界に進んでいたら、精神のもろい自分は挫折していたかもしれない。事実、医学部に進学したものの続かず、退学した人を何人か知っている。医師になったのが遅くてかえってよかったのだ。

留年、休学を繰り返した北海道大学では、いよいよ除籍になりそうになったとき、「マタイの福音書20章」に触れ、雇われるのを待って夕方まで立っていた労働者と自分の姿が重なり、これは自分のために与えられたと感じ、クリスチャンになった。北大では学問的にはほとんど身につけることができなかったが、人生の根本を得たといえる。

約13年間の教師生活では、おしゃべりなだけだった自分が曲がりなりにもリーダーシップを身につけることができ、医学部生活や開業するにあたって役立っていると感じる。

晩年を駆け抜ける

私は小学校時代、通知表の行動評価で「基本的生活習慣」がずっとCだった。感覚もずれている。人間関係能力も低い。そんな私に対し、両親、大学の先生は、普通の就職をせず、実家に帰って親の保護の元で生活するように勧めた。指導医の中には飾りで医師免許だけ取ることを勧めた人もいる。勝ち気とは程遠い私だが、彼らの提案を拒否する気持ちがあって、ボコボコになりながらも今日までやってきた。空白のときは、その過程で生じた。

幸い、理科大進学のとき、医学部入学のとき、開業するとき、それぞれ強力に後押しする人がいて、今日を迎えることができた。開業してからも色々なことがあり、現在進行系である。
モーセは120歳まで生きながらえて、死の直前まで気力が衰えず、使命を全うして後をヨシュアに託した。私もモーセに続き、晩年を駆け抜けていきたい。

エルムクリニック院長
倉橋真理