危機と民主主義~ウクライナ戦争を考えるにあたって

プラハ城外から望む聖ヴィート大聖堂(プラハ城内・チェコ) 

2022年2月24日、ロシア・プーチン政権はウクライナへ軍事侵攻を開始し、本記事を執筆中の3月22日時点でもこの戦争は終わっておらず、このプーチン大統領の核兵器使用をちらつかせ、原発まで攻撃対象とした軍事侵攻による他国への侵略は決して許されることではありません。
ウクライナのキエフ、マリウポリなどの諸都市では、攻撃により多数の人々が死傷し甚大な破壊を受け、人々は難民となり国外へ逃れています。

メディアリテラシーが重要

今回のウクライナ戦争では、「ロシア・プーチン対ウクライナ・ゼレンスキー」という二元論的対立の構図で描かれた情報が多いように思います。私たちが目にする情報は、戦争当事国政府が発信するものから、現地で取材を行うジャーナリスト、ツィッターなどソーシャルメディアを介した個人の発信など様々です。

戦場での事実確認は困難を伴い、ロシア、ウクライナ両政府の発表は紛争の当事国の立場での発信であることなど、私たちは流れてくる情報の真偽や意図に気をつけなければなりません。
また上記のような単純化された構図だけでは現在は捉えきれず、ウクライナの複雑な歴史や、ソ連崩壊以降のヨーロッパ諸国やNATOまで含めた歴史的な背景を踏まえた上で現状を見ることが必要となっています。

難民

善悪二元論の危険性

歴史をひも解くと、危機の中で情報が世論喚起に利用された例は枚挙にいとまがありません。
ベトナム戦争中の1964年8月に起きたトンキン湾事件は、米艦船が北ベトナムから攻撃を受けたと報じられましたが、軍事作戦中であったことが伏され、また4日の2回目とされる攻撃は実際にはなかったことが後の調査で判明しています。

ジョンソン大統領は世論の高まりを利用して、大統領に事実上の白紙委任を与えるトンキン湾決議を下院では全会一致、上院では反対2人以外の圧倒的多数の賛成で可決させ、北爆の開始など、さらなる介入に踏み切りました。ベトナム戦争は泥沼化し 1973年までにアメリカ兵5万8千人、ベトナム人は200万人が死亡。戦争はカンボジア、ラオスにも広がり、インドシナ半島からの難民は約144万人に達しました。

21世紀の戦争

2001年の同時多発テロの首謀者を匿ったとしてアメリカはアフガニスタンへ侵攻し、2003年には大量破壊兵器を保持しているとした誤った理由によりイラクへも侵攻を行いました。侵攻を受けた国々の政治情勢は不安定化し、現在も紛争が続いています。

9.11を受けたアメリカ議会の、大統領に対テロ戦争のあらゆる権限を認める決議(AUMF)には上院全会一致、下院は反対1人以外の賛成多数で可決。AUMFの決議はテロ発生からわずか3日後の9月14日のことでした。

こうした結果を見れば、私たちは危機の只中で善悪二元論による直線的な思考に陥りやすく、非常時だからと批判的な意見を排除し国家権力に自由な行動を許すことがいかに危険であるかが分かります。そしてまたアメリカの事例は、民主的手続きを通して他国への軍事侵攻を支持する圧倒的なムーブメントができあがっていることにも、私たちは注意する必要があります。

改めて民主主義を

ベトナム戦争はやがて、アメリカ国内で大規模な反戦デモが行われ、公民権運動などとともにアメリカ社会を揺さぶりました。
「We shall overcome」を覚えている組合員の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
反戦デモは戦争を直接には止めませんが、大統領の交代や戦争終結への大きな力となりました。

批評家の柄谷行人の言葉を借りれば、代議制は代表者を選ぶ寡頭制であり、デモは寡頭制に陥った代議制を補完するものとして民主主義には必要不可欠だとして、デモに参加することの積極的な意義を語っています。
国会だけが民主主義の場ではなく、たとえば駅前などで「反戦」や時には「生きさせろ」など、人々が社会の中で意義申し立ての意思表示をすることが必要なのです。(事務局 中瀬)