目の前の暴力を 私たちは傍観するしかないのか

people on street during daytime

2月13日の信州大学人シンポジウムに事務局の中瀬が参加。講師の鵜飼哲さんはイスラエル/パレスチナ問題と国際社会で起きている変化について語りました。


昨年10月7日のハマスによるロケット弾攻撃に対する報復として、イスラエルはパレスチナのガザ地区に空爆と地上侵攻を行っています。

こうした暴力が私たちの目の前で繰り広げられる中、南アフリカ共和国がイスラエルをICJ(国際司法裁判所)に提訴し、1月26日にジェノサイド防止の暫定命令がだされました。またイスラエルの行動はジェノサイドであるという非難がアメリカのユダヤ人団体からも出ています。

しかし一方で、欧米など西側諸国では、パレスチナについて言及しただけで「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られたり、反ユダヤ反対主義とレイシズム(人種主義)が接近し、大きく右傾化していくという状況が出現しています。こうした現状をどう読み解けば良いのでしょうか?

a wall with a mural on it

収拾がつかなくなった大国による支配

講師の鵜飼さんは、イスラエル/パレスチナ問題を考えるにあたって、10月7日のハマスによるロケット弾攻撃を起点とするのではなく、少なくとも100年以上前にさかのぼる必要があると言います。

イスラエルが建国を宣言したのは1948年ですが、その決定的な契機となったのは第一次世界大戦中1917年の「バルフォア宣言」で、ユダヤ人の「民族的郷土」をパレスチナに建設することをイギリスが約束したことです。それ以降パレスチナへのユダヤ人の入植が増え、ナチスドイツによる1930年代からのホロコーストで入植者数は格段に増加。そして、ユダヤ人入植者によるパレスチナ人排斥行動から争いが増加し、パレスチナは騒乱状態に陥ります。

パレスチナを統治していたイギリスは、第二次世界大戦後、問題を国連に委ね、自身はパレスチナから撤退。国連総会は、それまでパレスチナ人が93%の土地を所有し、人口も70%ほどを占めていたにもかかわらず、ユダヤ人・パレスチナ人それぞれに半分ずつに土地を分割する決議案を採択。パレスチナ人は土地のほぼ半分を失い、イスラエルが1948年に建国されます。

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排斥・根絶・抹消の植民者植民地主義

イスラエル建国と前後した1947年後半から、民族浄化ともいえるパレスチナ人の追放が、ユダヤ人入植者によって起こされます。これは後に「ナクバ(=大災厄)」と呼ばれます。ユダヤ人の入植により排斥され生活の場を失ったパレスチナ人およそ70万人は離散し、難民になります。

パレスチナ人を追放して奪った土地をユダヤ人に分け与える―こうしたイスラエルの行動は、入植者植民地主義(セトラー・コロニアリズム)と言え、「共存」の余地はありませんでした。なお、酒井啓子(中東現代政治研究者)さんによれば、第三次中東戦争(1967年)で、イスラエルはヨルダン川西岸・ガザ地域を占領し、領土内に占領地住民を抱えることとなります。

「占領地のパレスチナ人はイスラエル本土の経済に最底辺で従属させられるという、現地住民の労働力と土地と生産物を収奪する古典的な植民地主義的支配を受けることになった」と指摘します。

black red and white textile

「天井のない監獄」―ガザ

こうした追放・抹消と経済最底辺での従属という二重の植民地支配への抵抗として、1987年・2000年のインティファーダ(=民衆蜂起)がおこります。これに対してイスラエルはパレスチナ人居住地を覆う壁と監視塔を建設。パレスチナ人を入植地に一切入らせないという姿勢をより強固にしました。

ガザ地区は「天井のない監獄」と呼ばれ、2012年に国連が「2020年には人が住めない場所になる」という報告書をまとめるほど、燃料・飲用水・医療・教育などのインフラがイスラエルにより寸断されており、こうした中で起きたのが10.7のハマスによる「越境」攻撃(被占領者の抵抗)であったといえます。

アメリカをはじめ欧米諸国とその同盟国は、イスラエルがアラブ地域への前哨基地の役割を担う存在であることや、イスラエルの軍事行動とアメリカによる対中東戦争(対テロ戦争)は、その性格が類似していることから、イスラエルの行動を容認してきています。
*ガザ問題を契機とした西側諸国の政治状況の変化については次号掲載予定です。

 事務局 中瀬