総代会記念講演会では、長友会(昨年ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の長野県組織)副会長の前座明司さんに被爆者運動についてご講演いただきました。明司さんは1947年生まれで、父、良明さんが広島で被爆された被爆2世です。
戦後、原爆被害についてはGHQのプレスコードにより「原爆が終戦を早めた」というプロパガンダ以外の情報は、あまり浸透しておらず、差別などの一因に。被爆者への援護は、1954年のビキニ事件で反核の世論が盛り上がりを見せたことで、原爆投下から実に12年後の1957年にようやく原爆医療法が制定されます。
それまでは、被爆者は慢性的な体調不良があっても原因が分からず、良明さんも身体の異常なだるさを自覚しつつも「まともな職に就けず、生活もままならない。どん底だった」と、明司さんは語ります。働けないことによる貧困で医療機関にもかかれず、さらに被爆者への差別という二重、三重の苦しみを被爆者は抱えていたのです。
そうした中で、被爆者運動は「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意」のもと、国家補償と原水爆使用のタブーを訴えてきました。
被爆体験者が少なくなる現在にあって、前座さんの講演から、今後は私たちが核兵器の問題を自分自身にひきつけて考え、運動を継いでいくことが求められているのだと言えます。