先月号にも書きましたが、私としては、6月一杯で、能登支援ボランティア活動を終わりにしようと思っていました。ですが、活動先で知り合った仲間からのお誘いで、7月からは、七尾市の奥、奥能登(輪島市・珠洲市・能登町・穴水町)の穴水町での活動に加わります。
地元社会福祉協議会の方のアドバイスもあり、医療支援(看護師・保健師)ボランティア活動に入れてもらいました。ここは、名古屋市に本部を置くRSY(レスキューストックヤード)が運営しています。
歯科相談・お茶飲みサロン
地元のコーディネーターさんが、穴水町2か所の公民館や集会場で、「歯科相談・お茶のみサロン」を設定してくれました。まず、他人の私達が町の皆さんとどのような手法で馴染んでいくかが課題です。お茶のみサロンといえども、湯吞み茶わんからポットのお湯、お菓子など、地元の方々に負担とならない様、全て長野から持参し、当日のゴミなどは全て持ち帰ります。
第1日目は、山の奥の集落でしたが、10人以上の方に参加して頂き、翌日は、 185世帯の仮設住宅の集会場で、約30人に参加して頂けました。8月になると仮設住宅185世帯の見守り活動を行い、2人1チームで1軒ずつ訪問しての健康状態の確認。暑さで我々の方が体に堪えました。年金生活者がほとんどで、電気代節約のためエアコンを使っていない家が多くありました。
その後、9月21日に奥能登水害が発生。地震の修復が済んだ家や仮設住宅へ引っ越して、家電製品を入れて数日目の水害に、目を覆いたくなる光景ばかりでした。

水没した歯科医院の復旧作業へ
水害3日後に地元のコーディネーターさんからの連絡で、輪島市
役所に常駐のピースボート財団を通して、長野市歯科医師会や石川県歯科医師会からの支援物資を避難所等へ配布しました。軽トラで、普段25分で行ける行程が災害支援車両と重なり、3時間がかりで穴水町から輪島市へ到着。当日は、地元でも有名なホテルの支援活動で、荷物の移動と泥上げ作業を夕方まで行いました。
長野へ戻った後、コーディネーターさんから、輪島市町野町(まちのまち)で、歯科医院が1軒水没しており復旧活動に行って欲しいと新たに連絡がありました。
長野から夜通し車を飛ばしますが、道路の通行止めが多く、自衛隊車両の先導で珠洲市方面から回り込む形に。途中の崩落箇所で泥の撤去待ちがあるため、お昼前の到着となりました。
戸隠や鬼無里の様な山の中で、泥の海を走り、広江歯科医院さんへ無事にたどり着きました。名刺交換をしたところ、何と母校の1つ先輩の先生でした。歯科医院併設の自宅の泥上げ。8月にリフォーム工事が完了したばかりのお宅。ボランティアが少ない中、3日間ほどお手伝いしました。診療室は新築中で、ユニットを入れる前だったので難を逃れました。

地元のスーパーに泊りお礼にお手伝い
輪島市災害ボランティアセンターとは別に、「まちなじ(町野町と南志見地区)ボランティアセンター」が設立され、また報道の影響もあり、全国からボランティアが集まり、以前知り合った関西の方々も多くが参加していました。
11月になると天気の急変が多くなり、晴れていると思うと急にヒョウが降り出して雷鳴が鳴り、近くの民家の軒下へ緊急避難。仕事がはかどらなくなり、12月に入ると降雪も重なって、年内のボランティア活動は終了となりました。
報道で有名になった「もとやスーパーマーケット」さん。店舗は半分にして、残りのスペースに無料宿泊施設を作り、年明け後は数泊お世話になりました。無料なので、毎日朝、トラックで納品される品物の搬入や陳列をお手伝いさせて頂きました。また、そうした奥能登での活動中の12月1日、ボランティアに入った広江歯科医院さんの開業が行われました。
長野市 原山 周一郎 (旧原山歯科医院・院長)